2012年1月18日水曜日

封印

1月17日。もう17年が経ちました。
昨夜のニュースで、東北の被災地の方が
「阪神淡路で被災された人達の気持ちが
分かりました。」とコメントをして
くださっていました。

地震で被災をした記憶。封印をしていた
記憶が甦ります。大自然の脅威。

離婚をして丁度2ヶ月目の大地震。
二人の娘は父親の大阪へ避難。
両親も大阪のホテルへ避難。
両親と2世帯で暮らしていました兄一家も
義姉の実家のある大阪へ避難。

父は、「こんな大災害の時は、泥棒が
横行する。火災もある。誰も住んでいないと
分かると何をされるか分からない。
終戦の時と同じや。お前は残って
この家を守ってくれ。頼んだぞ。」と言い残して
大阪へ避難して行きました。
家を抵当に大阪で事業を営んでいた父に
とりましては、小さな家でも一応陣地。
当日の夜は小学校に避難して休みましたが
翌日からは、父の命を守り実家に戻りました。

昼間は、半壊になりました自分の家の
片づけに追われました。
夜は、実家に戻りいつでも逃げられるように
着のみ着のまま、強い余震の中、母親のベッドで
眠りました。
『 孤立無援 』
何を食べて生きていたのか?
多分思い出す努力をすれば思い出せると
思います。
何故、私が実家を守らなくてはいけないの?
父の事業の基。社員さんの生活の保証の基。
両親の築いた大切な城。
余りに辛い日々でしたので、自分で
封印をしてしまったのでしょう。

六甲山から吹きおろす2月の寒風を受けて
歩く中「負けない!」と何度も心の中で
つぶやいた事だけ覚えています。

家屋の倒壊、道路の破損。人気も無く
街はひっそりとして、景色が一変しました。

東北の震災で被災されましたみなさまも
同じ気持ちでおられると思います。

一人ひとりの人生の災い。
被害は同じでも、同じ境遇ではありません。
元に戻れない、辛くて辛くて長い日々。

半壊の家を一人で片づけました。
どこから手をつければ良いのか?
壊れた家具。割れたガラス。家が壊れる
土埃の中、途方に暮れました。
気の遠くなるような作業でした。

原爆や戦争や災害や。
生きて行く事は辛い思い出と隣り合わせです。
みなさん封印をされて生きておられるのですよね。