2010年12月31日金曜日

大晦日

”ミレニアム” 1999年~2000年。
二人の娘達に、”エアロスミス” という音楽バンドの
真夜中ライブへ連れて行って貰い、記念すべき世紀の
年越しを、カウントダウンして祝いました。
あれから、早くも10年。そう、10年ひと昔です。
そして、今年2010年、オフィス デイジーが誕生しました。

今年は若者に混じって、老眼鏡を掛けて挑んだ検定試験に
運良く合格でき、2つの資格を得ました。
昨年12月にパート勤務を始めて、10日後に父が他界をし
今年6月迄勤務。その後7月のオフィス デイジーの開業届。
振り返れば、今年も我武者羅な一年を過ごしました。

オフィス デイジーを開業して、沢山の方々に巡り会う事が
できました。そして、沢山の事を教えてくださいました皆様に
心より感謝をし、御礼を申し上げます。
その方の人生に踏み込んだりしなくても良い。
『 ただ、言葉を交わし、笑顔でご挨拶をする。』
それだけで、人は幸せになれると気付きました。
学びました、この思いを、これからも皆さんにお伝えして参ります。
明日から始まる来年、オフィス デイジーは更なるバージョンアップを
して参りますので、オフィス デイジーの成長を、暖かく、そして
ちょっぴり楽しみにお見守りください。

来るべき2011年が、皆様にとりまして楽しい一年と
なります様にお祈り致します。

2010年12月15日水曜日

昨日は、母方の叔父さんと奥さまである叔母さん(父の従妹)
と一緒にランチに出かけました。 お二人と私はDNA的には
普通より濃い関係なので、私には大切な親族です。
私の運転で、伊丹にある 『音羽鮨』 というお店へ行きました。

このお店は、玄関の造作がフラットなのが気に入っています。
70代の叔母さんは腰が悪く、歩行もゆっくりです。
いつもは車椅子を使われるのですが、今日は、80歳に
なられた叔父さんと、私の介助で歩いて頂きました。

叔父さん達はお二人暮らしで、日常生活の身体的な負担を軽く
する為、普段はヘルパーさんにお手伝いに来て貰っています。
叔父さんには二人の息子さん(私の従兄弟)がおられますが
働き盛りで仕事も忙しく、遠方に住んでいたりです。
叔母さんが腰痛で入院された時期に、気弱になられていた
叔父さんから、介護についての相談を受けました。
私は、亡き両親の介護申請をした経験から、叔父さんも
ご子息より私に、介護システムについて、お尋ねされた
ものと思います。
”介護” という文字に、叔父さんも抵抗を感じておられた
のは理解できました。そこで、市役所窓口が平日の受付
ですので、叔父さんのお気持ちを察して市役所の手続きに
同行を致しました。
その日の手続き後、全てが順調に運び、現在は快適な生活
を送られています。
ケアマネージャーやヘルパーさんのアドバイスのお陰で
叔母さんもデイサービスのリハビリに通い、腰痛も楽になり
お二人の生活も穏やかに戻られたので、お役に立てて
良かったと思っています。
亡き母の時は、未知の介護システムに不安や警戒を覚え
また悩みましたが、”介護” を必要とする当事者家族の
心情を理解できる立場になりましたのは、母の介護から
学ばせて貰いました。

昼食の予約時、身体の事を考えた席の希望をお伝えしました
『音羽鮨』 さんでは、こちらの希望通りのお席を用意して
くださり助かりました。
良く利用する、苦楽園店で顔をお見かけしました、板前さん
も笑顔で出迎えてくださり、嬉しく思いました。
歳の所為か耳が遠くなられた叔父さんとの会話では
周りの方々にご迷惑を掛けないかと心配でした。
落ち着いた、雰囲気の良い店内で、ゆっくりと味わう
お料理の美味しい事も勿論でしたが、和服のスタッフさんの
行き届いたサービスに、叔父さんも叔母さんも大満足
仰り、ご案内して良かったと思いました。

帰りの車中で、「二人でこうして出かけるのは久し振り。
良いお店に連れて行ってくれてありがとう。」と叔父さんに
言葉を掛けて貰って、遠い昔に、結婚式でお世話に
なりました御恩返しの、一かけらになったかな(笑)と
思いました。
伊丹の 『音羽鮨』 さん、有難う。

2010年12月13日月曜日

先日、11月2日~12月12日迄、京都国立近代美術館で開催
されていた、「上村松園 展」に行って来ました。
開催期間中、前期・後期で一部の作品が展示変更となります。
11月中は多忙でしたが、何とか今月12日の末日迄に行く事が
できて良かったです。

一番のお目当ての、代表作 『序の舞』 が前期展示で
見る事が叶わず、一寸残念。
でも、後期展示の 『焔』 を見る事ができて、嬉しかったです。

※解説 『焔』1918年。
    謡曲「葵上(あおいのうえ)」に取材した作品。
    光源氏の元恋人・六条御息所は光源氏の正妻・葵上に
    嫉妬し生霊となってしまう。顔の表情、髪の毛をくわえる
    ポーズなどによって、執拗な嫉妬の念が表わされている。 

等身大もある様な、大きな絵に描かれていた女性の表情は、
絵画の価値も分からない私の様な無粋な者でも、”くぎづけ”
にされてしまう、恐ろしい魔力で惹き付けられます。

どんな女性でも、誰もいない部屋で、一人鏡に向かった時
そこに映る自分の顔のその奥に、一度は覗き見た事が
あるであろう、自分の中に生息する、女という生き物を
発見した時の驚愕。般若の棲む面。

人生の年輪を重ねてこそ描く事ができるのでしょう。
と、作者と作品の素晴らしさに圧巻の溜め息。
沢山の素晴らしい作品を鑑賞できて、満足でした。

その後、紅葉の名所の、東山の永観堂へ行きました。
作家の渡辺淳一氏も、『紅葉を見に訪れた』 とエッセイ集
「触れ合い効果」に書いておられたことを思い出しました。
紅葉の見頃は過ぎていましたが、見学者がピークを
過ぎていた様子で、静寂なお庭の枯れ行く風情を堪能
できました。
本山の裏にそびえる東山の木々は、ハイビジョン画像
では到底捉えきれない、極彩色の雄大な懐で私を
包み込んでくれました。

紅葉の落ち葉が水面に模様を描く、前庭の池には、
数匹の鴨が、鮮やかな光沢のある緑色の頭を
数字の ”2” の字の形のまま、季節の音に
遠慮するみたいに、静かに泳いでいました。

夕方、伏見稲荷駅の近くに住む、90歳の
伯母さんを訪問し、お元気そうなご様子に
安心して帰路に就きました。

2010年12月7日火曜日

12月

2日は亡き母の84歳のお誕生日でした。干支は寅年。
今年は当たり年でした。亡き父も1月生まれで寅年。
12年前の寅年に、夫婦で寅年にゆかりの深い、
奈良県生駒郡の信貴山へお参りに行き、虎の破魔矢
を持ち帰り、「12年後の寅年に、この矢をお父さんと
一緒にお返しに行けるかなぁ。」 と、笑顔で私に
語りかけたのが昨日の事のようです。
母には、大好物のにぎり寿司、数の子・いくら・うなぎ、
を一つづつ買ってきてお供えしました。

5日は亡き父の一周忌法要でした。祥月命日は、
10日ですが、日曜日に皆で集まり供養をしました。
父も母も大正生まれでした。
戦争の悲惨なお話も沢山聞かせてくれました。
青春時代を予科練で過ごした父は、酔うと、
「貴様と俺とは、同期の桜~…。」と軍歌を
歌っていたものでした。そして、この兵隊の
お付き合いの会で、会長をさせて頂いたり
していましたが、何時も、「会員が増える事が
無い会なんや。」と苦笑いをしていました。

父や母の若かった時代に、日本の輝かしい
将来を信じて散って行った方々の事を思うと、
果たして今は幸せな時代になったのか? 
と視線を落とす思いです。

もうすぐ私のお誕生日が来ます。
昨年は、父が旅立ちました別れの後でした。
ところが、思いがけない形で、沢山の方々に
「Happy birtyday to you ~ …」と
お誕生祝いの歌をプレゼントされました。
今までの人生で味わった事の無い、
すごく複雑な感情でした。

ソフトクリームの上にワサビをトッピング
した味。
辛くて泣き出したいのに笑っている。

父も母も私に目に見えないモノを沢山
残してくれました。
読書好きな父が良く言っていました。

啓子、『事実は小説より奇なり』やからな。」

私も、年齢を重ねる毎に、成程と思える様に
なりました。

2010年11月24日水曜日

今日(正確には昨日)23日の勤労感謝の日は、愛犬デイジーの
命日です。
12年半共に過ごし、5年前の晴れた朝、天国へ旅立ちました。

デイジーとの出会いは、不思議な縁でした。
どこにでもある様な家庭事情の末、私の実家の両親との6人での
和やかな2世帯同居が難しくなり、止む無く、実家近くの借家へ
親子4人慌てて転居しました。
長女が小学5年生、次女が幼稚園に入った春でした。
借家の隣家が、何度も泥棒に入られた、というお話を聞き、
防犯対策に、わんちゃんを飼う事にしました。
そこで、市政ニュースで知った、保健所の子犬交換会に参加しました。

当日、段ボールにバスタオルを敷いた簡易の籠を用意して、娘達の、
「お母さん可愛いわんちゃん貰ってきてね。」 という声援を受け、
意気揚々と出かけたのでした。
保健所の駐車場には、車3台分位の特設の囲いが出来ていました。
「わんちゃんとは、講義の後、この囲いの中で出会えるんだわ。」
と胸が高鳴りました。
飼い主の心得の講義を受け、やっとこれから交換会、という時、
「皆さんにお詫びがあります。 本日、交換会に子犬は一匹も
届いておりません。 私は長く担当していますが、このような事態は
初めてです。 申し訳ありませんが、次回の交換会に優先的に貰って
頂くという事でご了承ください。」 との係員のお話。
約50名程、2階の講義室に集まっておられた皆さんから、一斉に
大きな落胆の溜め息が聞こえて、中には、保健所の不手際を
なじっておられる方もいらっしゃいました。

私も意気消沈して帰宅。 次回の、子犬交換会で、最低50匹もの
子犬が集まらなければ、また次次回になるかも、という焦りもあり、
家族皆で協議の末、ペットショップで購入する事にしました。
ペットの本を読み、「ペットを購入する時の参考として、何匹か居る
檻の中で、声を掛けて最後に近づくわんちゃんが、性格が慎重で
良いわんちゃんです。」という一行が、妙に頭に残りました。

ペットショップの檻に、3匹のシベリアンハスキーが居ました。
初めに寄って来たのは、両目が黒い子、次がバイアイ(右目が
ブルー・左目が金色)の子、そして、最後にのそのそと近づいて
来たのが、デイジーでした。
彼女は、宝石のアクアマリンの色を連想させる、それはそれは
美しい透き通るブルーの両目をしていて、私の眼を下の方から
覗う眼差しで近寄ってきました。
(注:日射の加減で瞳孔の大きさは変化します)

この出会いから12年半、デイジーと私(二人の娘達も其々に)は、
共に人生を歩みました。
彼女の首に首輪を取り付けて、私が用意する食事で、生命を繋ぎ、
リード(引き綱)という一本の綱で、地球をひと回りしたのでは?
と思う程の距離を、お散歩で共に歩いたのでした。

離婚後の地震の被災に拠る転居(半壊の家屋の中、一人で壊れた

家財道具を処分)・親権争い・実家の家業(家の抵当権)争い・
子供の受けたいじめ問題・ 母親の難病看護・父親の介護・家庭事情
に因るオンオフのパート就労。
デイジーと過ごした日々は、毎日が投げ出したくなる様な

叫びの日々でした。
お散歩で、彼女は、私の苦しみの言葉を全て聞いてくれました。
彼女がいなければ、私と娘達は、世間の荒波に遭難していたと

思います。

二人の娘達もデイジーを姉妹のように慈しみ可愛がりました。
私達の3人の誰かが、毎日、必ずデイジーにご飯を与えなくては

なりません。
地震後5年間、周囲の反対の中、実家の庭にデイジーを置かせて

貰っていたので、 賃貸マンションから、徒歩10分、それこそ、
雨の日風の日雪の日、毎日毎日デイジーの元へ通い、ご飯を与え、
悪天候以外は、例え夜中になってもお散歩に 行きました。
その後の展開で、実家で両親と同居していた兄一家は、家を購入し

転居しましたので、また、私の両親と私と二人の娘達の5人での
生活が実家で始まりました。
漸く、デイジーと一緒に暮らせる日が戻って来ました。

愛しい者との離れ離れの生活が、どれ程辛いものか、また一緒に

暮らせるようになってみて、その有難さを、当たり前の日常を、
神様に感謝しました。
ドアを開けると、デイジーがいる。声を掛けると足音が聞こえて、

傍に来てくれる。 抱きしめると厭がって逃げて行ってしまう。
そのくせ、直ぐに戻ってきて私の足元から円らな瞳で見上げます。 

12年以上も傍にいて、何で、私とお話できないのでしょうか?
ひと言で良いから、人間の言葉でお話をしてみたかった。

教えて欲しかった。 『デイジー、貴女は私と出会って幸せだった?』
貴女程素敵で魅力的で賢いわんちゃんなら、もっともっと、裕福で、

貴女を可愛がって大切にしてくれた飼い主さんと、楽しく暮らせた
筈よね。
私と出会ったばかりに、辛い一生を過ごさせてしまってごめんなさい。
私は貴女のお陰で、辛い日々を乗り越える事ができました。
デイジー、有難う。

22日の月曜日に、仕事がお休みだった次女の運転で、デイジーの

眠る宝塚の動物霊苑へお参りに行きました。
好物だった、チキンを朝から煮て、小さな容器に入れて持参しました。
大粒の雨にどんよりとした空の中、供養塔から見える甲山を見て、
「お母さん、デイジーのお墓近くて良かったね。」と娘が言い、暫し、
二人で灰色の空を見つめていました。

2010年11月21日日曜日

今週は、私にとりまして、人生勉強をする良い
機会に恵まれました。
2回の昼食会で、人生の先輩達のご立派な
足跡と考え方を学ばせていただけたのです。

初めは、関西の経済界を支えておいででした重鎮、
経済の専門家の紳士です。
隣に座って、お食事をご一緒させていただけるだけでも、
舞い上がり、身の引き締まる思いでした。
正直、緊張で何をお話させていただいたのかも、思い出せない
最悪のシチュエーションで面談は終わりました。
でも、貴重なるお話は、流石にビジネスに対する視点が違う
と分かりました。そして、一流の方に共通の、単刀直入な
鋭い会話の運び方からは、どの様な状況であれ、相手の方
とは、もっと真摯に対話をしなければならないと、
私の考えの甘さを痛感しました次第です。
自分の至らなさを教えて頂けた、これは、有難い事と
思います。

次は、私の亡き母親より一寸ご年配の女性の先輩達。
外見は亡き母の年代に近いので、そのように捉えて
しまいましたが、お話をさせていただきますと、先輩達の
内から溢れ出る凄い才能や凝縮された人生の艶に
只ただ圧倒されてしまいました。
戦争で勉学どころでは無い時代。女性の学歴がともすれば
軽視されていた時代に、きちんと自分を磨いて充実した
人生を歩んで来られた、力強い信念と努力。
その影の部分を全く私に見せてくださらない、朗らかな会話。
どれ程の人生勉強をすれば、この先輩達の域に達する事が
できるのであろうか? と、すさまじいばかりの、彼女達の
エネルギーと、極められた余裕を感じました。
そして、こうして私に打ち解けたお話をしてくださるのも、
先輩としてのお努めとして、教えてくださっているのだと
分かり、有難く思いました。

戦争の体験談を若い人達にお話しをし、平和の尊さを伝える、
という運動を続けておられる年配の方々がおれらる。
というニュースを耳にした事があります。
人生の先輩達からのお言葉は、この歳である故に、心に沁みる
のでしょうか? いえいえ、未だ間に合うから一層の精進をと
エールを送っていただいたのだと思います。

ご立派な先輩達にお目にかかる事ができ、人生のお勉強を
させていただけました良い一週間でした。

2010年11月14日日曜日

私は、最寄の駅が 『苦楽園口』 という所に住んでいます。
この駅は、阪急電鉄の神戸線の 『夙川』 という駅から、
支線でひと駅北方にあります。
住まいの近くには、車の駐車場を借りています。

今週は、日中が割と穏やかな小春日和でしたので、
ポスティングには、最適な気温でした。
そこで、愛車に乗り、お仕事のご案内のパンフレットを、
宝塚市の方面へポスティングに参りました。

車に乗り、近くのコンビニで、エビアン(飲料水)の
小サイズと、葡萄味のキャンディーを買い、
一粒をお口に放り込んで、いざ出発。
一路県道を北に走ります。

右手に西宮市の北山緑化植物園を見て、その辺りからの
道路は山を切り開いた様な、くねくねとした道になります。
両サイドの雑木林には、常緑樹の緑より、パーセンテージ
を占め出した、ベージュや茶色の木立ちが続きます。
カーブを曲がると、まるで赤信号の様に、鮮やかな赤い、
漆の木の葉が、フロントガラスから私の眼に刺さります。

暫く右や左のハンドル操作を繰り返しながら走ると、
右方向が甲山に向かう前方の信号が赤でストップ。
青信号で再び走り出すと、8月のお盆の頃には、
黄色と深い緑色で、暑苦しく茫々と伸びていた
あの、雑草の麒麟草が、路肩で、全身を肌色に変えて、
元気無くそよいでいます。
そして、それらの雑草ですら、稲刈りの済んだ周りの
田畑のベージュ色と溶け合って、一帯の景色は、
昨今流行りの、キャラメル味の飲み物の様な色で、
落ち着いた風情を醸し出してくれています。

左手に県立高校を過ぎると、路線が分かれて、
左へ進むと、大きな信号。
左方向へは六甲山。右方向へは宝塚です。

信号を右に折れると、宝塚ゴルフコースの中を
分割して走る道路になり、ここは、ゴルフボール
から保護する為に、グリーンのネットが道路の
上を、さながら昔の蚊帳の様に覆っています。
その道路の端には、芒や猫じゃらしが茂り、
まるで、手招きする様子で、車達を迎えて
お辞儀をしてくれます。

この道の先は、急な下り坂になり、逆瀬川へと
続いて行きます。

私は、初心者マークを付けていた頃から
この道を良く走りました。
沿道の自然が素晴らしく、大好きな道です。

お口のキャンディーが無くなり、
これから、ポスティングでお尋ねする、
見知らぬ方達の事を考えると、
ひとりでに、私の好きな曲を口ずさんで
しまいました。
『For once in my life, I have someone
who needs me. … 』

2010年11月4日木曜日

今日は、かねてよりご依頼を頂戴していました、
お客様のお宅へ掃除のお仕事で訪問。
綺麗にお掃除をされて、お住まいなので、
私の出番が要らない程でした。

掃除をしながら、亡き父母の介護ヘルパーさんに
お世話になりました、数年前を思い出しました。
見ず知らずの他人の家での家事は、なかなか
大変であると知り、ヘルパーさん達のご苦労が
立場が逆になりました今日のお仕事で、
今更ながら分かりました。

本日の日経新聞、夕刊に掲載されていた、作家の
朱川湊人氏のコラムに、「3秒で幸せになる方法」
という記事が載っていました。
〈 中略~「…『ありがとう』って言うんだよ。
短くてもいいから、ちゃんと心を込めて」…略。 〉

今日お仕事をさせてくださいました、お客様。
『ありがとうございました』
お陰さまで、少し成長できました。

2010年11月2日火曜日

ここ数日、狭いお部屋を片付けています。
先日久しぶりに来た娘に、
「段々物が占領してきたね!」と
皮肉を言われてしまいました。
で、今日は、家具屋さんの、『ニトリ』へ
パソコンラックを買いに行きました。
予算内の品が見つかりましたが、
配達代が惜しいので、自分で車に積んで、
持ち帰り。10キロの荷物を持っての階段は、
一寸キツかったです。
+ドライバーだけが必要。との説明書と
格闘して、何とかデスクは出来上がりました。
さて、次の、プリンター台の取りつけに
移ると、あるべき付属のネジが無い!!
電話ですぐに『ニトリ』に問い合わせると、
型番で、パソコン内に説明書のデータが
保管されているみたいで、ネジ1本でも、
頗るスムーズにこちらのトラブルが
分かって貰えました。
明日朝、ネジ1本が宅急便で届くそうです。

「お値段以上 ○○○」のサービスに満足。
でも、お部屋は作りかけのラックに占拠
されてしまいました。

2010年11月1日月曜日

今日から11月

「あたたかき11月もすみにけり」中村草田男
昨日郵便で届いた、俳句誌、『春星』11月号の

拙作より、「コスモスの風に思わずハミングす」
季語が9月なので、一寸ずれていますが、
これからも、俳句は続けて行きたいと思います。

先日、セーターもコートも衣替えをして、直ぐに
着る事ができるように準備しました。
去年こんなセーター着ていたっけ?
物忘れの所為か、はたまた去年出番が無かったからか?
セーターを一枚手にしても、あの日、これを着て、

あそこへ、あの人と行って、あんな会話をして…。
と瞬時に想い出が蘇ります。
流行遅れと分かっていても、この
セーターを捨てると、
全ての想い出を捨ててしまうように思われて、
凄く勇気が必要です。
シーズンオフには捨てる勇気を持てるように

なりましょう。
なので、『この冬が一緒に過ごせる最後の季節

と思って、想い出で私の心を温めてね。』と
セーターに語りかけました

2010年10月26日火曜日

Start

今日は、このページを初めて書きます。
折りしも、今日は初雪が降ったそうです。
想い出には良いスタートの日になりました。
まっさらの初心を忘れずに、これから、
私の人生のキャンバスの上に、一つ一つの
お仕事を描いて行こうと思います。